世界を斜め下からながめてみるのも悪くないのです。

人とは違う感じ方。違うからこそおもそろい。

障害って。

極端な話。

もし、空飛べる人間がいたらそれは「能力者」だけど

もし、人間はもともと空を飛べる生物だとしたらそいつが普通で飛べない人たちはいわゆる「障害者」でしょ。

仮に「能力者」がいるならば、
それは

・自らの進化によるもの

・周囲の退化によるもの

が考えられる。

「能力者」であるの条件は、マイノリティであることだ。

なにができるか

ではなく

ほかのひととなにがちがうか。

でも、進化は必ずしも足し算とは限らない。

人間がもともと猿だったのならば、進化の過程で尻尾がなくなったのは必要なかったからである。

あってもなくてもいいものはない方がよいのだ。

引き算も進化である可能性があるならば、

あるはずのものがないことが

障害なのかそれとも進化後のすがたなのかは現状では判断できない。

尻尾なく生まれてきた猿は群れのなかで障害猿だったかもしれない。

そこでその障害猿が進化猿第一号なるまでにひとつのプロセスが必要である。

それは周りの猿が、障害猿をみて、尻尾の必要性を疑うことである。

なくてもいいんじゃないか…?

この瞬間、障害猿は進化猿に成り上がる。

能力者は進化の先駆けとなり、それはいずれ一般化する。

人間が飛べないのは
飛べるわけがないからであり

その根拠はいままでとべたやつがいないからである。

それはひとりの人間が飛んで見せることでくつがえる。
「能力者の出現」は
「可能性の証明」というプロセスのひとつであり、
可能性が証明されたとたんそのできるはずなかったことは、自分にもできるかもに変化し、それにたいしてマジョリティが価値をみいだせば、それは一般化する。

ただ、
あってもなくてもいいものはない方がよいのだ。

飛ぶ必要がなければ、
飛べることは障害になる。

さて。

あなたにとって手は必要ですか?
足は?
目が見えなければいきていけないですか?
耳が聞こえないのはどうですか?

マジョリティに求められるのは普遍性への疑問視。

マイノリティに求められるのは可能性の証明。



[これを書くにいたったなんやかんやの参考文献]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151120-00000066-mai-soci


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151202-00050016-yom-soci


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/HEROES_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)

解釈はおまかせする。