好きも嫌いもだいたい気のせい。
この時期はなんだか息苦しい。
じめじめするし。
だから梅雨はきらい。
夏は暑くて、セミがうるさいからきらい
静かな夜を奪わないでください。
日本はみんな必死になって空気をよもうとするから生きづらい。
読まないで吸えよ。
あ、これ、空気読めてませんね。
ごめんなさい。
,,,きらい。
わたしは自分勝手で、おちつきがなくて、大言壮語なじぶんが,,,
うん。
ひとはたくさんのものを嫌って生きているし、すべてのものを嫌いになることは難しくない。
でも多くの場合でその嫌いは本質ではない。
だって梅雨は嫌いじゃない。
じめじめは嫌い
じめじめは梅雨のなかの1要素でしかない。
梅雨にしかない色があり、
梅雨にしかない音があり、
梅雨にしか咲かない花が咲く。
うつくしい。
ただ、強いていうならばじめじめしてすごしにくいところは少し辛いかな。ってことだろう
夏も
日本も
自分自身も
そのものが嫌いなんじゃなくて
嫌いな要素があるってだけ。
だけども要素がひとつあれば、それを嫌いってことにしてしまえる。
でも逆にいえばどんなに嫌いなものでも、たったひとつの要素を見つけることができれば、好きってことにしてしまえるじゃないか。
そして、人のよいところを見つけようとしてる人はそれだけでも素敵だ。
そうかんがえると、皆に愛され皆を愛することは、難しいことではないのではないかと。
それが正しいか分からないし、
そういう安直な考え方が嫌なひともいるとおもうが、
あくまで、個人的な願いとして、理想論と笑われるような絵にかいたような平和な世界へのひとつの要素としてほこりをもって死んでいきたい。