世界を斜め下からながめてみるのも悪くないのです。

人とは違う感じ方。違うからこそおもそろい。

平和ボケの話

[戦争をしない]

これには2つの手段があります。

ひとつめは
「不関与による孤立」

それは国際社会から脱することを意味します。

いまでも世界のあちこちで戦争が起きています。
日本人はそれをリアルにイメージできません。

[日本の決意]
だけでは戦争はなくなりません。

国際社会の一員である以上、
世界のどこかで起きている戦争は
自分事のはずです。

日本は70年間、戦争をしていない。
ほんとにそうでしょうか。

すごく嫌な言い方をすれば

70年間「目をそらしてきた」のではないでしょうか。

ほんとに戦争をしない覚悟があるなら

いま戦争が存在している国際社会と縁を切る必要があると思うのです。

こうすれば、本当の意味で[戦争をしない国]になるかもしれません。


もうひとつの選択肢は

「非暴力による仲裁」です。

これにはリスクと責任がともないます。

国際社会の中で説得力をもっている必要があります。

ただ、唯一の被爆国である日本が責任を果たすとすれば、自分たちが二度と戦争に巻き込まれない方法を議論するより、いま戦争が存在している国際社会に発信し、話し合いで解決できないことを、血を流さないで決める手段を提案することだとおもいます。

極端な話をすれば、間に入って
「戦争は命がもったいないので、ジャンケンできめませんか?」
と胸を張っていっていくことだとおもうのです。



後者は時間がかかります。
そのためにいまどんな動きかたをするのが適切なのか、私にはわかりません。

だから私は代表者を信じて任せようと思います。

これはあくまでも個人的なスタンスです。



"どこかで飛行機が墜落します。
日本人犠牲者は0人です。

ほっと胸をなでおろします

結局何人死んだんだっけ。

しりません。日本人は無事です。"




こんなのは嫌なのです。


いま若者が真剣に考え
自分たちの知らない戦争に、興味をもっていること。
声をあげて、できることを形にしよう動き始めたこと。

一つのステップとして、価値のあることだとおもいます。


しかしながらメディアにとりあげられる発信の多くが一貫した批判であることや、
選ばれる言葉が時に暴力てきであることについてとても悲しくおもいます。<現状を希望に変えていくために>

・若者が考え、動こうとする姿勢を評価し認めること

・一切の批判をやめ、提案として発信すること

・失敗や失言に寛容になること


揚げ足とって、ののしりあっても戦争はなくならないとおもうのです。

みんなで一度深呼吸をしませんか。




世界中が誇りをもって平和ボケできますように。